🍂 公園のドングリを拾って― 5歳の息子のピュアでかわいいお話
先日、5歳の息子が公園でドングリをたくさん拾ってきました。小さな手にぎゅっと握られたどんぐりは、どれも宝物のように光って見えます。家に帰ると、息子はそれらを植木鉢の受け皿に丁寧に並べていきました。最初、私は気にもせずその光景を眺めていましたが、その行動には、思いがけない理由が隠れていました。

毎朝、出かける前に息子は必ず受け皿のドングリをチェックします。私には一見、どうして同じものを何度も数えたり並べたりするのか不思議で、つい「早くして」と急かしてしまうこともありました。


息子にとってその受け皿は、リスさんへの小さな「ごはん台」だったのです。公園で集めたドングリを誰か(生きもの)に分けてあげたいという純粋な気持ち――それは子どもならではの無垢な優しさに違いありません。本当に山が近い田舎であれば野生のリスさんに会えたかもしれませんが、この周辺では実現しなさそう、ちょっとメルヘンな発想ですが、息子が私が知らない間に、植物や小さな生き物のことを想像して、与える喜びを持っている姿には親ながらにほっこりさせられます。
その日以来、私は息子の「どんぐりチェック」を急かさなくなりました。むしろ少し早めに家を出て、玄関先の小さな受け皿を覗き込む息子の姿をとても愛らしく見つめています。風なのか猫の仕業?なのか偶然(ほんとにリス?と思いたいですが、割と都会のリッチなのでたぬきもキツネもこの辺ではお見かけしません。)息子が減ったドングリを見て歓喜している姿をみて私は、「ほんとう?ほんとに減ってるの?リスさんきたのかな?」と息子と顔を見合わせて笑ってしまいました。

小さな行為が育てる感受性
子どもの行動は、一見意味がないように見えても、内側には豊かな感性が育っていることがあります。ドングリを集め、誰かのために置いておく――その単純な反復の中で、息子は与えること、待つこと、観察することを学んでいるのだと感じました。親としてできることは、その芽を摘まず、そっと見守ることです。
最後に:日常にある小さな物語を大切に
何気ない朝の「リスさん、今日もこないなぁ」というひと言が、私にとっては宝物のように胸に残りました。子どもの世界には想像力が満ちていて、その想いに触れることで私たち親もまた柔らかな気持ちを取り戻せます。もしあなたの家でもお子さんがドングリをたくさん集める日が来たら、何か目的があってのことかもしれません。子育てをしていると余裕のない毎日ですが、時々、子どもの気持ちを一緒に覗いてみると、大人には見えない世界が見えて楽しいですよ。